どしゃぶりひーろー

どしゃぶりの日にはふぉ~ゆ~にいてほしい

優秀病棟素通り科

アイドルと舞台俳優が福ちゃんの中に共存して見えた

いつ出てくるのかな…

プロローグのシーンを見ながら息をのんで待っていました。

(そういえば、冒頭のカーネーションのシーン、好きだってラインライブで言ってたね。)

 

序盤のシーンがしばらく続き、いよいよ本多劇場の舞台に現れた福ちゃん。

もとい、飯塚哲人。

もうそれだけで一気に血圧上昇よね。

長い手足、ほっそり背が高くて、立ち姿のシルエットがずば抜けて美しい。

白いワイシャツにスーツパンツはいてるだけなのに、どうしてこうも色気が漂っちゃってるのかすでにパニック。

飛び降りしている(しちゃた?)人の役だから、なんとなく服も髪も乱れた感じなのがその原因なのかな。

 

ん-、それだけじゃないね。

はっと目を引く、アイドルとしての華みたいなものが存在しているのを登場してきたときに強烈に感じたのでした。

 

 

山田能龍さんのインタビュー記事の中の、福ちゃんの印象を聞かれている部分に書いてあったこと。

稽古を重ねていて、「やっぱりジャニーズっぽいな」と思うことが一つあって、それはもう身も蓋もなく「ハイスペックである」ということです。

つまり、ルックスもいいし能力が高い。小さいときから選りすぐりの能力の高い人たちがしのぎを削っている中で、今まで活動を継続しているっていう時点で、やっぱりセリフ覚えも動きも何にしたってスペックが高いっていうのは感じますし、そこはジャニーズらしさだなと思いますね。

その一方で、こうも語ってくれている。

だけど、人間的にはすごく懐っこいし、パッと見たら違和感なく劇団に馴染んでいるので、そこにはジャニーズ感は全くなかったりするんですけどね。 

 平素の福ちゃんからは、全くジャニーズ感が漂ってないんか…と思ったらちょっと笑ってしまった。

 

ジャニーズの人のイメージが「ハイスペック」であることにちょっと驚きました。

逆に、ジャニーズに所属している側から聞こえてくる言葉は、「アイドルだから」って言われないようにと、他のどの分野の仕事をするにも努力をして認められたいという思いが強いように感じていたから。

実は、自分たちが思っているのとは違って、ジャニーズというブランドはとてもスキルの高い人たちの集まりだという認識の方が大きいのかもしれない。

それだけ、ジャニーズであることにプライドを持ち、それぞれが真摯に仕事をしてきたことの表れなんだとしたらなんだか嬉しい。

 

 

ところが、ストーリーが進むにつれて、アイドルの立ち姿はそのままに、その演技はとにかく熱量が高くて、受け取る側も一緒に心が熱くなっていきました。

とくにラスト10分間の演技は、哲人がひどく苦しそうなので一緒に苦しくなりました。

肩ではあはあ息しながら出てくる台詞。頬をつたう涙。頭を抱えて小さくなる姿。

俳優としての存在感が半端ない。そのお芝居から感じる迫力。

俳優の福ちゃん、すごい。

 

 

コロナ禍から生まれたストーリーを演じる

もともとは、「住人たちのわがままに振り回されながらも、前向きに働く不動産屋さん」を演じてもらう予定だったという今回の舞台。

それが、このコロナ禍で人の生死に関わる信じがたいニュースが飛び込んでくるようになり、もともと向き合ってきた死生観をテーマにしたものにしようという想いが生まれたと山田さんが語ってくれていました。

 

コロナ禍にあって、誰もが知っている、とてもそんなことが起こるなんて信じられないようなイメージだった俳優さんの死。それを知ったとき、コロナが直接の引き金になったとは思わないけれど、全く影響がなかったとは言えないんじゃないかと感じた人もたくさんいたんじゃないかと思います。

 

そんな一筋縄ではいかないようなテーマを福ちゃんに演じてもらいたい、と山田さんは思ったわけですが、福ちゃん、こんな難しそうなテーマを背負うの、プレッシャーじゃなかったんだろうか。

それとも、こういう難しいテーマだからこそ、俳優としてはむしろそのプレッシャーを楽しんでやる、くらいの気持ちになるんだろうか。

 

 僕この芝居中、運命の只中にいれたような感じがして、すごく幸せだったんですよ。そういう体験が出来たことがすごく嬉しくて。

作品も簡単じゃないというか。自分なりに一生懸命立ち向かえたかなっていう気持ちがあったんですけど。

 

芝居を終えて、初めて自分の気持ちを語ってくれた千穐楽3回目のカーテンコール。

 その答えかはわからないけれど、きっと自分でも手応えを感じた舞台になったんだろうなと思いました。

 福ちゃんが、今回のお芝居に一生懸命立ち向かったことは、その演技を見ていたら充分伝わってきたし、その結果が幸せだったのなら、それは本当に役者をやっててよかったと思える出来事なんだろうなと想像します。

 

そんな素晴らしい舞台に出会えてよかったね。

そして私、そんな福ちゃんのお芝居に立ち会えてよかったね。

 

 

陽の印象、でも意外とそうでもない

福ちゃんのイメージは陽の人。

でも、本人曰く、自分はネガティブ。

人当たりのよい印象だけど、舞台に入る前の顔合わせの時間は緊張するからいきなり稽古でいいのにって思う。

 

いつも笑顔の福ちゃんだから、陰の部分は感じずらいよね。

だから、普段あまり感情的にならずに穏やかで温和な印象の人が、対照的な情熱あふれる演技をすると心が揺れるんだと思う。

 

寅さんになりたいって言う福ちゃん。

寅さんも、明るくて悩みなんかなさそうなのに、なぜか哀愁を感じる。

陰と陽を併せ持ってるような、そんな人柄に憧れるのかなあ。

もう半分くらいは寅さんになってるってことでいいんじゃないかなって思ってます。

 

今回の舞台は、コメディだということだったので、もっと笑える部分が大きいのかなって思っていました。福ちゃんの陽の部分が押し出されるような。

でも、実際には福ちゃんの、じゃない方の部分が見えた気がしていて、想像からは大きく外れていました。

コメディ=喜劇は、必ずしも笑えるものだけを意味するのではなくて、悲劇の対照という意味もあるのだそうです。

 

喜久枝さんが舞台の中で笑い飛ばしてくれたように、悲劇と思われることも笑い飛ばすことで悲劇でなくなるかもしれない。

そんな、悲劇と喜劇をあわせもっているストーリーを演じた福田悠太に、めちゃくちゃしびれました。

 

 

 

さいごは…

 哲人は、職場でも家庭でも理想的な人としての回想シーンがあったわけですが、それがなんか、今っぽくて自分が生きてきた時代とのズレを感じてしまった。

自分が生きてきた中での理想の上司像って、キャプテンシーがあって、ぐいぐいと引っ張っていくような人だったと思います。

今はそういうタイプの人間はうっとうしいと思われちゃうのかな。

部下の気持ちに寄り添って、何かを押し付けるような物言いはしない。後輩潮田さんの気持ちは、喜久枝じゃなくともわかりみしかない。

 

家庭における哲人に至っては、さらに共感しかなかったんじゃなかろーか。

家庭に求めることが、思いっきりだらけられる空間であることってなかなかだよね。

家の中が完璧だったら疲れちゃうなんて言われてみたい主婦続出案件。それでいて、妻の微妙な心の揺れに気づいて、「何かあった?」なんて優しくされたらねえ。

一軍の〇ートテック、何枚でも追加購入しておきますけどっ。

 

理想の相手は「三高」とかいわれていた時代だもんなー。

カリスマ的な存在じゃなく、気持ちに寄り添ってくれたり理解しようとしてくれる、そういう人が今の理想の人として描かれていたのが印象的でした。

 

福ちゃんの演技とは直接関係のない感想ですが、とどのつまり福ちゃんリアコっていう感想にての締めくくり。

 

 舞台についての感想を、なんか残しておかないと、感じてたことがこのまま忘却の彼方に行っちゃいそうだった。時間かかったわりにうまく気持ちを残せたかは疑問ですが、とりあえずアウトプットしたことでまた新しいことをインプットできる容量が心の中に確保できたような気がします。

 

つぎは、福辰でのお芝居。すごーく楽しみです。